2019 12/21三鷹SCOOL ゆかちゃん企画の記録

前回の投稿から77日経っていた。

ここはTwitterインスタFacebook mixiが存在しなかった世界線のブログのつもりでやってる。

12/21はすでに2ヶ月も前の事。ゆかちゃん企画に呼んでいただき、三鷹SCOOLで演奏して来た( http://scool.jp/event/20191221/ )。ボロいシエンタもよく頑張った!

 

前月の東京2daysでギターとベースが脱退したので、東京在住のシャアさんと半チャーハン増田が参加して、5人。それと立川貴一君扮するイカデビルと一緒に小さい演劇もやった。

前回は9/16京都芸術センターで上演したニカサン主催の「うまく落ちる練習」

https://nikasan.net/

での上演後やったライブで出演していた立川喜一君とイカデビルをやった。

今回は前回の感じも踏まえて、もう少し演出を加えた。彼もゆかちゃんもふじちゃんも最後に演奏したグルパリさんも当日会場にいた他の複数人もみんな元は飴屋法水氏の衛星のように集まった、共通の演劇経験を持つ人々なのだけど、別にずっと一緒にいるわけではないのにこのような機会で集合するのが不思議だと思う。ここに飴屋さんは居ないのに。同じく飴屋さんの元で演劇をしていた大井君から飴屋さんを教えてもらって、貴一君を紹介してもらった。ぼくはまだ飴屋さんと話したことは無いけれどブルーシートという作品にぶちのめされてから生き方が変わった。この衛星のような関係性や、頼りないけど逆らえない重力のうねりのようなものは一体なんなのか考える機会となった。

 

生きてたらそのうち死ぬ。時間の芸術。一本のメジャーの上にそびえ立つ灯台。鏡の球体が写す立体的な時間。気持ちは時間を無視し続けている。イカデビルのテキストはミッシング箱庭の大柴陽介氏の追悼文集「サイケデリック武勇伝」に付録されている生前発表されなかった短編小説だ!

「これのテキストをライブでリーディングしよう。」

京都の課金ソシャゲ会社の面接を受けるためにうちに滞在していた貴一君はバイトから帰って来たぼくにそう告げて、動き始めたのはいつ頃だったかな。夏かな。

うまく落ちる練習はぼくらが考えるべきその時の表現のテーマに沿っていたため、それと上演後貴一君が再びステージに現れるということも含めて、イカデビルはうまく落ちる練習に対する僕らのアンサーのような舞台となった。

SCOOLで上演したときはぼくが大柴さんに電話でインタビューするに至ったことと、穏和で愛される人間性を持った彼がたまにやる破壊的パフォーマンス(そのたびに彼の取り巻きや友人の心は離れていった)をテーマに絞って演出した。飴屋さんとは違うけど、大柴さんも頼りない重力のうねりの中心となってしまう存在であったからだ。(サイケデリック武勇伝を読んだことない人は絶対に読んでほしいし、ミッシング箱庭の音楽を是非聴いてほしいです。高円寺の円盤にいけばなんとかなると思うので。売り切れていたら、誰か持っている人を教えてくれといって借りたらいい。図書館に置くべき。ウェブにアーカイブすべき作品となった。すべき。)

 

 

以前よりインターネットで追いかけていた解体ザダン壊とグルパリさんのパフォーマンスはまさに時間を超えた演出が施されており、"ただ音楽を聴きに来たひと"なんていなかったかもしれないけど、もし"ただ音楽を聴きに来たひと"があの日お客さんに居たとしたら、どんな気持ちになったのかな。基本的に意味がわからないと思う。でもただ笑わせたり感動させたりしたいと思ってぼくらが表現を続けてる人々では無いんだという事実はわかってくれたかもしれないなとか、それはエンターテイナーとしては無だけれども、生きていると言うことは死んでいると言うことでもあるのだから、間違ってはいないのだと思ってる。哲学が全く違うけれど演出による効果がその場での音楽(ステージ中の曲という単位の時間)との関係を自在に動かすことが出来る事に気付いている。そしてそれを思い切り動かしてまるでハイパーヨーヨーのように踊らせたいと思っているところが共通している3組だったと思う。(ヨーヨーの部分が音楽で、後の長さが時間を表す。しかし、ハイパーヨーヨーなので、ベアリングが時間を自在に動かす。我ながら本当にテキトーで不適切な例えが出たと思う。)

ぼくは時間の芸術の中で時間を立体的に動かすことが出来ることを飴屋さんのブルーシートで初めて知ったし、生まれてから死ぬまでの時間に応用できるのだと言うことも分かった。死がテーマになるべくしてなった。死は私のハイパーヨーヨーになりやすい形状をしていたからだ。例えば関節痛の人に抗うつ剤がよく効いたりするらしい。例えば関節痛の人に抗うつ剤がよく効いたらするらしい!

痛みを感じているのは視床を経由して前頭葉に信号が流れるかららしい。でもたまに視床を経由せず痛みを感じるようになってしまう場合があるらしい。痛みは患部で起きているのではなく、前頭葉で感じているのは信号なんだ。その場合抗うつ剤がよく効くらしい。

逆にすげー出血しててもヤバいって思ってる時は痛く無かったりする。身体は知ってる事を超えた次元で普通に働いてるからたまにびっくりする。

 

踊りたいようにみんな踊るべきだと思っているから、ぼくはこれからも空回りして高速回転している死・曲との距離を伸ばしたり縮めたりして、その線を使って踊る。

 

https://vimeo.com/362956709/6cdda94e5d

 

http://www.youtube.com/watch?v=OKjL4WfLoGE

 

言葉はとても面白いし、(文明の上で遊んでいるわけだから)記録するために大事なんだけど....。書く事が好きな人やいいねジャンキーが書く専門家になるとろくな事がないと最近思う。特に音楽ファンとか。書く事に対するリスペクトを失ったTwitter、特に音楽ファン。

 

 

SCOOLでの演奏終わって、ローストして持ってきたコーヒーを振る舞ったりして、近くの店で少し打ち上げをして、なぜか店のライターを大量にもらって、駅のエスカレーターから終電のみんなを見送って、エスカレーターを逆走して帰ってきたしろしろくんとすでに終電なかったたまやなぎさんとふじちゃんと僕で朝まで飲んで、車中泊した。

酔いが覚めたら学芸大の宿谷さん阿部ちゃんのお家に向かい、渋谷のパルコ地下で再びみんな集合し、学芸大前の養老の滝で新年会したこといま一気に思い出した。その後みんな終電で帰って、ぼくと甚八君と勝浦さんとふじちゃんは宿谷ハウスに泊めさせてもらった。うまいもの食べた気がする。とにかく東京行くとぼくしか運転出来ないし、ライブも大変で、常に意識が朦朧としている。東京へは新幹線で通勤したいです。東京へは新幹線で通勤したいです!!!!

 

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