ライブを観に行った。
SUZMENBA、数えきれない、ムーズムズ。
DJは森川さん、井上さん、仙石さん。
THEアバンギルドって感じのパーティで、2回コロナでキャンセルになったこともありみんなが待ち望んでやってきた感があった!テーブルは出ていたけど満員だった。久しぶりにすげー踊った。たくさん涙が出る瞬間があった。生きていて良かったと心底思った。僕もライブしたいなと思った。
自粛期間を経て、いつの間にか人に会うことがとても苦手になったなと感じている。でもそれなりに生活はできるようになってきていて、鬱との付き合いも慣れてきた。コーヒー豆もたくさん焼いている。
だけど、パーティが繋いできたコミュニティって本当にかけがえのないものだと思う。
僕らは病気になった時どうすればいいんだろう。コロナなら病院に行く。でも鬱なら?
仕事や学校など鬱の原因が環境にあることがわかっているなら、その環境を変えるために必要な精神的な松葉杖を病院に行って処方してもらう事が出来るかもしれない。
でも薬を飲んでも社会的な環境は自分の力だけでは変えることはなかなかできない事ばかりだし、そもそも薬は特効薬などないから付き合い方も難しく、通院でさえ慣れていないと難しいだろう。服薬自体にも大きなリスクがある。病気になる前の段階で、小さな問題を解決できていけば元気でいられるのにね。
そういった生きるための知恵をどこで交換できるのか。悩みを相談する相手は誰なのか。
SNSにはたくさん知人がいる。会わなくても彼らが生きているような気がして、会う必要がなくなってくるのかもしれない。でもほんとはそんな事ないはず。会いたいってどういう気持ちなんだろう。
会うって事は誰かを身近に感じたいという事だ。だけど行為としては自分を相手に身近に感じさせてしまう事でもある。これがすごくプレッシャーに感じて嫌だ。
誰かに会いたければ連絡をすればいいだけなんだけど、会って自分の事を好きになってもらわないといけない。好きじゃない人と一緒にいるのは本当に苦痛だから。当然だけど色んな人に好かれるような人には誰もなれない。面白い事を言ったりすることもできない。目の前にいる人を自分という存在を用いて楽しませる事ができない。そう悩んでいる人は大勢いるんじゃないかなと思う。まあぼくはそうなんだけど。だから目的なく人に連絡して会うということは難しい。
でもパーティはそれを解決する。
パーティの根本はみんなを呼ぶ事だ。みんなが集まればコミュニケーションが発生する。会話だけじゃ追いつかない存在を用いた原始的なコミュニケーションが。好きな人たちを身近に感じる事ができるし、同時に安心して他者にもなれる。そういうのが良いパーティだと思う。企画者目線だと様々な状況のオーディエンスに配慮したセッティングは大変なんだけど。
これが年一回の健康診断よりもぼくらの生活を支えてくれるように思った。そろそろ次のコロナが猛威をふるい、再び僕らは分断されるのかもしれない。2月にライブの予定をいれたけれど、キャンセルになるかもしれないと思っている。だけどこの日のパーティの記憶はきっと死ぬまで消えない。それくらいのインパクトがあったから。脳内であの日は続いているし、頭の中で遊んでるよ。