松本君への私信

創作するためには時間と環境を自分に用意するのが一番重要だと思います。ただの日記なら今すぐに書けば良いだけですが、人に読ませるための作品を書き切るつもりならば、冷静な精神で推敲する必要があります。音楽もそうだし。僕らは基本的にライブハウスで演奏するバンドをやっています。ライブハウスというのは酒場です。酒場のミュージックな訳です。盛り上がったり、しんみりしたり酒呑たちがオーディエンスな訳ですね。でも、僕はライブは大事だと思っているけれど、鼻歌でできたメロディと歌詞を音楽にしているわけだから、誰かの鼻歌になってもらうための音楽だと思っているんです。そのために録音しています。酒場のミュージックの場合、演奏している人も酒を飲んで、場の雰囲気をオーディエンスと共有して演奏するのがコツだと思います。ユリシーズはみんな酷い酒飲みですがライブの時に酒を飲まないようになりました。すると音楽の質がやっぱり変わってきたように思います。人前で演奏したり、人と話したりもそうだけど、酒を飲まないと辛くて辛くて出来なかったんですけど、今は演奏する一音一音への意味が深くなっていて、その繊細なニュアンスを演奏で表現するために素面でないと、実現出来ない音楽を演奏するバンドになりました。でもそれは演奏者としての認識でしかなくて、リスナー的には何が変わったのかあまりよく分からないくらいの差なのだと思いますが...。でもすごく演奏するの楽しくなったんですよね。話を元に戻すと、酒を飲まなくてもライブしたりできる状態に自分を持っていく環境が偶然整ったから今楽しく創作ができているんですよね。今までは体力と精神だけが資源で、それをどこまで擦り減らせるかのチキンレースでした。それで生み出せたものは想い出でしかなくて、音楽的には自分が聴きたいと思える音楽は今まで作ったり演奏したりできた事が無かったです。パンクの呪いだなと思います。社会や自分の境遇への怨みを悲鳴にする手段として音楽を演奏していました。今もリスナーからするとあまり変わってないかもしれませんが、僕的には今のユリシーズの音楽は超コミュニケーションって感じです。僕の伝えたい事って歌詞はあるけど、言葉ではなく音楽なんだなあと思いました。音楽が伝わる時はすごくはやい。僕が伝わる演奏をライブで聴いた時に、その演奏者になんと言えば良いのかいつもわかりません。良かったです!!って言うのはなんか違うというか、何が良かったのかと言われたらとにかく言葉よりも速く伝えたい事が伝わった事が良かったんです。それは美味しいとか気持ち良いみたいな快楽とは違う感覚だなと思います。気持ち良い事や美味しいとか、そう言う事はよかったです!!って自然に出るんですが、良かった演奏とは、気持ちよかったわけではなくて、言葉では表現できず、音楽でしか表現できない、喜怒哀楽のどれにも当てはまらないユニークな感覚が音速で伝わった感動なんですよね。だからよかったですでは感想を伝えられないんです。だから難しい。でも、演奏している側的に、今ちゃんとそれ(音楽)が表現出来ているという実感がある時がある。

松本君が小説とか、この手紙とかを書く時、読ませる時ってどんな気持ちや考えがあるんですか。それが一番気になる事です。