自分は他者だった。

自分は他者だった。そんな事、気づいていたけれど、理解したのは初めてだった。

勝浦さんが以前、コンタクトをつけたままにしていたからか眼球の表面に張り付いてしまって取れなくなってしまった事があった。無理やり取ると目の表面も剥がれてしまって、痛くなったって。

ぼく自身も取れなくなったコンタクトのようにくっついてしまっていた。何がくっついていたのかと言うと、ぼくという人間とぼく自身。

子供の時から窮屈だなーと思っていた。身体が弱かったし、貧乏で、両親は怖くて、自分の見た目や性格が嫌いだった。体が弱かった事も、貧乏だったことも、両親が怖かったことも、それによって自分のことが嫌いな事も、自分で選び取ったものでは無いし、今生きている事も偶然。そのうち死ぬことは必然。生きている事が偶然で、生きている理由も分からないのに、なんかとても恐ろしさを持った死はすぐに目の前に立っていて、人生は本当にクソゲーだと思う。でも人間が作った面白い作品とかが割と残っていて、悪く無い部分もあるけれど、それでも辛い事ばかり目に入ってしまう。ずっと胃がチクチクと痛いんだ。

そんな辛さと共に生きている事も全部偶然。だからぼくは必然性が欲しい。なぜここに存在しているのか、納得できる理由をいつも求めている。音楽もセオリーより必然性をとても大事にしている。それはそのメロディの存在を大切にする概念だと感じているから。なんでもありだと、把握しきれない。デザイン的には把握できる範囲の情報量を綺麗に並べたい。

 

最近髪を青く染めたら緑になった。メガネが似合わなくなったからコンタクトを買いに行った。まだ取り外しに苦戦している。

 

日曜日、3曲ミックスが終わった。江添さんのホームスタジオで集中して作業をした。その後江添さんと、ゆきさんと勝浦さんと酒を飲んだ。完成した感じがあり、かなり嬉しかったし、ビールが美味かった。勝浦さんと西院から歩いて出町柳に帰ってきた。出町柳で勝浦さんと別れて、家に帰っている時に急に自分に対して感謝とリスペクトを初めて感じた。不思議な体験だった。自分は自分の事を欺けないというシステムを初めて知覚した。

他者から何か言われた時に(特に感謝やリスペクトを表現するポジティブな言葉)それを信じるということは「欺かれるリスクを背負って信用している」ということ。だから気持ちを伝えるってほんとに難しいと思う。難しいよ...。ぼくは周りにいる友人を尊敬していて、貴重な人生の一部を使ってぼくの相手をしてくれることに感謝している。彼らにありがとうと言うことはあれど、その言葉にこの気持ちを詰め込んで伝えることは不可能だし、する必要も無いと思ってる。でもそういう友人に対して感じている感謝と尊敬を自分自身に初めて感じた。その気持ちは言葉を介さず心から心へ伝わるものだから(内部で起きていることなので)生まれて初めて感謝されて気持ち良すぎて大号泣してずっと道を譲る大鉄(浦安鉄筋家族)の気持ちが分かったようだった。

(しんどくて面倒な事が沢山ある人生だったのに、今日良い録音が3曲できて、良くここまで付き合ってくれた。ありがとー...。)

そう自分に言ったし、言われた。

自分はどちら側でもある。でも生まれた時から今の自分じゃ無い。今の自分が存在するのも偶然なんだけど、今は自分の意志で音楽したり、仕事したりして生きてる。意識はグラデーションだからどこからそれ以前、以降と線引きする事はできない。でも明らかに肉体は老いていてついてきてくれている。古いギターを弾いたり、ボロい車を運転してるような気持ちがある。

来週初めて胃カメラを飲む。ギターと一緒で身体もオーバーホールしなきゃと思ったんだ。

まじで生まれてからずっと色々あって毎日大変なんだけど、よくここまでギリギリ辿り着いたと思うよ。時間が無いから慎重さを保ちつつギアをあげていこう。