Everything Everywhere All at Once

NETFLIXで「Everything Everywhere All at Once」を観ました。

あなたはもう観ましたか?

私は今見終わったエクスタシーでマジで死にそうです。

本当に素晴らしい作品でした。あなたたち全員観て欲しいです。

 


僕もこの映画のテーマと同じで、相手のこれまでの生い立ちと、相手が現在置かれている環境を想像して、相手に優しくするという事が、この差別や分断を煽っている世界にできる唯一の抵抗だと思ってる。

 


それは自分を守る事以上に難しい事。

私は他者との関わりの中でしんどくなった時に、お互いを守るために適切な距離を保つ事が1番大事だと思っている。だけどそれを続けて行くと、近い世界の人達だけが塊になってしまい、他の塊と分断が発生する。まるで自分がデザインしたSNSのタイムラインの様に。私は世界を切り離したままにするのではなく、「あなたと対話しているこの瞬間はもう2度とない」という事を思い出す事が大事だと思う。なぜならそれが昔から簡単に使われ過ぎている割に雑に扱われていて、誰も実態を説明してくれない「愛」という概念の実用的な部分に最も近づける方法なのだと思うからだ。

 


I watched "Everything Everywhere All at Once" on NETFLIX.

Have you watched it yet?

I am seriously dying from the ecstasy I just finished watching it.

It was really great. I hope you all watch it.

 


Like the theme of this film, I believe that the only resistance we can make in a world that is fueling discrimination and division is to be kind to others by imagining their backgrounds and the environment they are in now.

 


It is more difficult than defending oneself.

I believe that the most important thing is to maintain an appropriate distance to protect each other when things get difficult in our relationships with others.

 


However, if we continue to do so, only the people in the near world will be clumped together, and there will be a division between them and other clumps. It's like a social networking timeline that I designed.

 


I think it's important not to keep the world separate, but to remember that "this moment I'm interacting with you will never happen again.

 


Because I think that is the way to get closest to the practical part of the concept of "love," which has always been overused and oversimplified, but has been treated in a messy way and no one has ever explained what it really is.

9/1の日記

 

9/2の日記 https://ichinichi-okure.tumblr.com/post/727406352824205312/202392satkyoto-%E6%97%A5%E4%BB%98%E3%81%8C92%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D%E5%83%95%E3%81%AFkashikoi から飛んでくる人に読んでもらいたいので、留置所にいる友達から送られてきた以前の手紙に書いてあったテキストを置いておきます。

「分析がなぜ大事かといえば、目の前にある問題の深さ、困難さを知れるから大事なのであって、分析とか研究とかは悟性に向かうためのものではないでしょう。無限の濃度を知る事が学であって、しかし人間の命は有限なので時々無限を断ち切って行動しなければならない。その切り口にセンス(意味)があれば芸になり、つまるところ無限と有限の両方に立ち向かう覚悟が学芸なのだとおもいます。」

 

以下9/1の日記本文です。


起きたら10時前だった。今日は仕事休みにしてたっけ。

iPhone11からライトニングケーブルを無理に引っ張って雑に抜き取ったときにエンジン音が幻聴で聞こえた。雑phoneっていうノイズフォークデュオが昔京都にいた。

通知に職場のチャットが割と入っててシフト表をすかさず開いた。今日は休みだ。3回確認した。カビゴンに餌を作った。いつまでPokémon Sleepやるんだろう。ルーティンに組み込まれると終わりが見えない。ポケモンが戦わなくて良い世界は素晴らしい。ヒトカゲが進化した。みんな生きてるの?

 


いつもは12時前に寝て6〜7時に起きてる。休みでも大体そう。でも昨日は寝たのが午前4時頃だったと思う。夜更かしをしないといけない理由があって、晩御飯を家で食べた後、茶山の漫遊堂にいった。客としては初めて行った。

 


2012年くらいに西部講堂で大きいイベントがあって、遊びに行ってて、(そこでめちゃくちゃうるさい大学生にであった。彼は数ヶ月後賢いユリシーズにボンゴで参加して、浄土寺で一緒にシェアハウスする事になるシャラポア野口だった)めちゃくちゃ酔ったんだけどそのままバイトの面接にいった。普通に落ちたんだけど、それが漫遊堂だった。その頃色んなバイト受けては落ちててやけになってた。大学生活ももうまくいかなかったし。

漫遊堂に行くのはその時以来だった。

 


読みたかった「スキップとローファー」の最新刊と、留置所にいる友達から手紙でおすすめされた「チェンソーマン」を読んだ。どちらの作品も読者を世界に引き込むのではなく、読者の世界を拡張させるように作られている点が酷似していると思った。「チェンソーマン」の主要登場人物たちはアドベンチャータイムをなぞっているのかな。

4時前になって店を出て、月明かりで薄暗い鴨川をチャリで走った。夜はやっと涼しくなってきた。結構眠くなってて、家に着いたらすぐに寝た。

 


それから冒頭に戻るけど10時前に起きて、ご飯を食べたり、風呂に入ったり、基本的にゴロゴロして過ごした。

昼前、留置所にいる友達から手紙と書籍が届いた。「アシュラ」上下巻と「列士満」。アシュラはとても好きな作品。彼に手紙と共に本を送ることは何度があったけれど、あちらから送られてきたのは初めてだった。手紙は108ページあり、読み応えがある。彼の手紙はとても面白いのでいつも届くのを楽しみにしている。彼が留置所に入ってそろそろ1年くらいなのかな。彼から送られてくる手紙は毎回大量で、押入れの1スペースが埋まってしまった。今月刑務所に移動する事になるそうだ。刑務所では送ることができる手紙の枚数は限られてしまう。それが少し心配だ。彼とは高校生の時にmixiで知り合い、一緒に演奏をしたり、シェアハウスで一緒に暮らした時期もあった。

彼からの手紙を読んでいたら、数年ぶりにシャラポア野口から電話があった。近況報告などする。幸せそうな雰囲気が電話口から伝わってきて、時間の経過を味わった。留置所にいる友達の話をしたら、東京で彼と一時期よく酒を飲んでいたことがあると教えてくれた。「そうなんだ、意外だな」と思った。言ったかもしれない。

 


その後鷹取愛ちゃんからdmがあり、1日遅れの日記の寄稿を頼まれた。これもまた数年ぶりに彼女と言葉を交わす機会だった。嬉しいと思った。

https://ichinichi-okure.tumblr.com/

9/2の日記を書いて欲しいと頼まれた。でも今9/1の日記から書いているのには理由がある。

9/1の22時から二条のGROWLYというライブハウスでオールナイトのイベントが行われており、ぼくのバンドも誘ってもらったから演奏しに行くんだけど、その出番が9/2の午前3:30から。

だから前日は漫遊堂で夜更かしして、睡眠リズムを後に調節しようと試みた。ライブが終わって家に帰ったら、疲れで残りの9/2はずっと寝て終わると思ったので(実際そうなった)9/1の日記から書いている。

なるべく疲れないようにゴロゴロしてたらあっという間に22時になっており、ギターとペダルを抱えて、ふじちゃんはスネアとペダルを持って家を出発した。

行き先は二条駅なので出町柳駅から三条駅まで行き、そこで地下鉄東西線に乗り換える。

三条駅でKK mangaのハマジに遭遇した。ロームシアターで開催されたgoat、Phew+山本精一OGRE YOU ASSHOLEのコンサートを観た帰りだった。今日ライブが入ってなければ、僕も行きたいなと思っていたライヴ。「いいなーー」って思った。多分言ったけど。

二条駅に着いたら出町柳より少し蒸し暑かった。暗くて道も広くて、静かな街。自販機でいろはすを買ってGROWLYに辿り着いた。3階の公◯食堂跡地が楽屋になっており、そこに先に到着していたギターのゆきさんが居た。ゆきさんもロームシアターでgoat観てきたって。MOFOのぺーこんに会ったって。そうなんだ、良いねと言った。

少しして、ベースの甚八君が滋賀から到着して、曲のアレンジを変えた箇所などの確認をした。

気づいたら9/2になってた。

coffee tips

コヒチップス

 


ドリップは1杯だと15gくらい豆が必要ですが、2杯分入れる時は25gくらいで大丈夫です。

ですが浅煎りはドリップの時間が長くなるとかなり不味くなるので2杯分以上一気にいれない方がおすすめです。たまに一杯ずつしかドリップしませんっていう喫茶店ありますが、抽出時間への理解があるというアピールなんですね。

 

 

 

ドリッパーは円錐形がおすすめです。

https://www.amazon.co.jp/HARIO-%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%AA-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97-VD-01T/dp/B001HC9GIC/ref=asc_df_B001HC9GIC/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=266399774391&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=4338668661522423336&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=m&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009507&hvtargid=pla-313987247694&psc=1&th=1&psc=1

 


フィルターはこれ一択ですね。めちゃくちゃいいです。https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E6%B4%8B%E7%94%A3%E6%A5%AD-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC-2%EF%BD%9E4%E6%9D%AF%E7%94%A8-%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%AB-100%E6%9E%9A%E5%85%A5/dp/B076MCYZ9R/ref=asc_df_B076MCYZ9R/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=332189423749&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=11327762513226654080&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=m&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009507&hvtargid=pla-421733410204&psc=1&th=1&psc=1

 

 

 

 

 

 

最初に蒸らしというのをするんですが、コーヒー豆全体に沸騰したお湯をかけて濡らします。でも浅煎りだと濡らしただけでは粉の内部にむらができてしまうので、細いスプーンとかでかき混ぜでしまいます。https://note.com/yuma_lightup/n/nefc5984aceda

 


それをやって30秒たったら、お湯をノンストップで注いでいきます。理由は時間が経つほど苦味が出てくるからなるべく早くドリップを終わらせたいからです。その理由で、先ほどの円錐型のドリッパーやアバカのフィルターを選んでいます。

あと一番大事なのはコーヒー豆の量と、お湯の量のバランスで濃さが変わるという事です。

https://www.amazon.co.jp/dp/B096FQ6KTD/ref=sspa_mw_detail_5?ie=UTF8&psc=1&sp_csd=d2lkZ2V0TmFtZT1zcF9waG9uZV9kZXRhaWwp13NParams

こういうコーヒーサーバーがあると、今どれくらい抽出したかが一目でわかるので便利です。

 


サーバーは大きいのがおすすめです。https://www.amazon.co.jp/HARIO-%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%AA-%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97-XVD-60B/dp/B001O0LCPW/ref=asc_df_B001O0LCPW/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=266513036153&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=1429367901518116954&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=m&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009507&hvtargid=pla-411450032317&psc=1&th=1&psc=1

 


なぜなら、中にたくさん氷を入れて、その上でドリップして、抽出終わったらマドラーとかでくるくる回転させると簡単にアイスコーヒーが作れるからです。

 


焙煎された豆は0日から10日にかけて毎日違う飲み物に変わります。何日目が好きなのか探すのが楽しいですよね。

中深焼きは3〜4日目が特に素晴らしいです。

10日過ぎると段々よさが落ちていきます。

 


豆の量をケチるなら豆の質をケチった方がいいと思います。それくらい量は重要ですね。

量をケチるというのは、水に対しての豆の量です。

少ない豆でも細かくひいてゆっくりゆっくり淹れると濃く出せますが、何が濃いのかというと色と苦味です。

おいしく入れるのはその逆で入れたら良いだけです。

あるていど荒くひいて、素早く抽出。

 


コーヒーは焙煎で色んな表現ができますが、コーヒー以外の好きな飲み物の影響が大きいと思います。

ぼくはウィスキーやハーブリカーなど蒸留酒好きなので、グアテマラ・オリエンテを選んでいるのはそういうアルコール感強いからです。

他にはロースターによって赤ワインっぽいコーヒーや、紅茶をめざしたコーヒーなどがありますね。無意識かもしれませんが。

浅煎りは紅茶やジュースみたいなイメージでローストされてると思います。

 


熱湯で淹れた場合に苦いと思ったら、引き目が均一ならそれより少し荒くだけで苦味を調節できるということなんです。いれ方が楽になるというか。コーヒー業界はやっぱりこだわりの世界なので、自分が思うコーヒーが一番素晴らしいと思ってる人たちばかりが発信してるのでコーヒーの権威みたいな人たちが言ってることバラバラなんです。

 


ぼくが元にしてる考え方はスペシャリティコーヒーの考え方です。無駄やこだわりをなくすみたいな。楽に誰でも美味しくみたいな思想です。

 

 

 

 

 

 

末素君からの手紙

彼の手紙の22ページにある分析がなぜ大事かという箇所が素晴らしいと思ったので、ここにも載せておきます。

 


「分析がなぜ大事かといえば、目の前にある問題の深さ、困難さを知れるから大事なのであって、分析とか研究とかは悟性に向かうためのものではないでしょう。無限の濃度を知る事が学であって、しかし人間の命は有限なので時々無限を断ち切って行動しなければならない。その切り口にセンス(意味)があれば芸になり、つまるところ無限と有限の両方に立ち向かう覚悟が学芸なのだとおもいます。」

#入管法改悪反対

この国の教育は
同調圧力に抵抗が無く、やがてそれを利用するようになる人。
同調圧力から逃げ続けている人。
この二層に分ける。
前者は頑張る事で報酬を得た経験があるから権力に前習えする。後者は差別への忌避感を知っている側だが、それに抵抗する活動さえも同調圧力だと見ている人々が多い。

 

陰謀論に想像力を奪われてしまったユーザーをよく目にするためTwitterユーザーは特に声を上げる活動に抵抗がある人が多いかもしれない。想像力にもファクトチェックにも限界があるからこそ、目覚めスイッチが入ってしまう人がいる。知って踊らされるより、知らずに踊らされている方が楽なんだ。

 

差別が人を殺していて、国がそれを推進しようとしている時点で戦争と同じ事が起きている。そんな事みんな分かっているけれど、自分で踊るんじゃ無くて、踊らされるエンタメ漬けにされた僕たちはまた踊らされようとしている。敵はいつでも僕らの心の中に居るよ。

 

デモに参加したり、この事について知人と話をするだけで良いと思う。でもパートナーにも相手にされないかも知れない(疲れてると思うし)。そんな時は無理せず話をしようとした自分の事を愛して欲しい。差別についての話は本当に足りて無いし、難しい。好きな人が差別的だと分かれば嫌いになるし、怖い。

 

未来の地球にどんな人達が暮らしているかを今まさに選ばれようとしていると思う。僕は生まれてから今までずっと人間にうんざりしてる。不満があれば弱者に怒れば良いと思ってる人達ばかりだと思うから。これは「うちはうち、他所は他所」っていう最悪にダサい思想が生み出した世界だ。

 

生きてても楽しい事なんてあんまり無いよ。でも、そのあんまりの内には人との出会いがあるよ。恋愛や利益を得るためのマッチでは無くて、目が合うだけで宇宙まで飛んでいけるようなやつ。僕の場合は直接じゃ無くて作品を通して時間空間を超えた出会いの場合が多いけど、それがあるから生きている。

 

音楽も映画もゲームもなんだって作品を作るのは人だから、AIだって人が作った作品を食って機能してるし、作品との出会いは人との出会いだと思う。作品を作ってない人はピンとこないかも知れないけれど、そういうもの作ってる人たちは最初の話の後者である事がほとんどだと思う。

 

列挙するまで間も無く、差別の対象にされるあらゆるIDの困り事は生命に関わる事でさえ自己責任とされる。自己責任という言葉を使ってる人は責任という言葉に意味がない事を知らないと思う。ただ意味もなく差別的に他者を責めてる自分を肯定するために使う言葉。

 

責任をとって辞めるとか、責任をとって死ぬとか本当に馬鹿だよ。個人が不利益を被る事で他者が助かる環境がおかしい事を指摘できない同調圧力の中で踊らされてるだけなのに。頑張れとか気合いとかと同じ、特権を持つ者が弱者に強いてきた汚くて意味を持たない言葉だと思う。

 

また同調圧力の中で生きる人達は本当に責任とか気合いとかの世界で生きてるのだとも思う。命の価値をかなり低く見積もるのには昆虫のように同種を殖やすという事しか考えてないからだろうな。そういうのはもう終わりにしよう。命の価値をもっともっと高めて1番上に持っていきたい。何よりも大切なもの。

 

そのために声を上げる。誰かに責任を押し付けるためじゃ無い。命の価値を何よりも高いものにする為に。

#入管法改悪反対

 

 

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を観てきた。

みなみ会館でぬいしゃべ観てきた。この映画はどんな人にも全員に観てほしいから薦め続けるけれど、上映中吐き気が辛くてで胸が棒で押されているかの様に苦しかった。自分の過去を(そのまま)観ている様だったから。僕は20代の頃ぬいサーではなくTwitterで自問自答していたけどそれも苦しくて、話を聞いてもらうためにもっといい方法も思い付かないでいると頭の中に姿無き存在が生まれて話を聞いてくれたり、話しかけてくれる様になった。つまり全然大丈夫じゃなくなったんだ。いつの間にかそれは居なくなったけど、その時の安心感に縋り付くために手段は選べないし感じを思い出した。社会のあらゆるしんどい箇所を変えるために急な解決策なんて無いから痛み止めとしてのぬいしゃべと対話の練習としてのぬいしゃべを描いていた部分には真摯な伝えたさが伝わってきたし、全編通して現実でしか無い。人それぞれ現実は違うけれど、僕の現実はまさにこれで、今鴨川で鳥達に囲まれながらこれを書いている。物語で描かれる救われようの無い苦しみ(無自覚な加害性と加害性の自覚、社会に演じることを強いられるジェンダー)をジョンのサン、わがつまさんの音楽が優しく包み込む。素晴らしい録音だった。

各所に散りばめられたぬい視点は眼鏡を外した様にぼんやりしていて音も耳栓をしている様だった。僕たちはそういうかわいい鈍さを何かに心底求めている。彼らにはぬいがそういう存在であって欲しかったし、白城にとっては七森がそういう存在であって欲しかった。でも本当はみんな敏感である事を恐れている。この社会においては鈍感さこそが強さとされているからだ。この映画を観た人たちは気づく事ができると思う。実はみんな弱いままでいいって事。弱いから大丈夫じゃなくなるんじゃ無くて、大丈夫じゃ無くなる環境に鈍感になってるだけだって事。僕にとってこの映画はショッキングなセラピーだった。この映画は革命を起こす事ができる。金子由里奈監督にとても感謝してる。あと、この作品に一瞬映り込む事ができてめちゃくちゃ光栄です。また観に行く。

 

 

https://nuishabe-movie.com/

 

 

https://youtu.be/fBorXbVqwOU

feelings, NONAME 20230325リリースします。

https://twitter.com/coffee_ippku/status/1636286690980687872?s=46&t=4wLEiJvehN77j6X9df6Hwg

f:id:osamuosanai:20230316225026j:image

KASHIKOI ULYSSES
"feelings, NONAME"
20230325 release.

REC at studio INO by Satoshi Yoshioka.
Mixing : Keisuke Ezoe @EzoeEndlessSumm
Mastering : Ippei Suda @IppeiSuda
Artwork : aeonfade

 

その前にKASHIKOI ULYSSESは今何をしてるのか書いておきます。

毎週、それぞれにほとんど無い余暇を寄せ集めて、出町柳のスタジオで寄り合わす。

バンドのdiscordサーバー上で今聴いている音楽をシェアしたり、曲のアレンジを練ったりしてる。

今年こそレコードを作ることを目標に現在は京都近辺在住の5人を中心に活動しています。

 


3/25に各種サブスクでリリースされる「feelings, NONAME」というシングルはコロナ禍に入ってバンド活動を休止せざるを得なくなり、osamuosanaiの宅録プロジェクトととして始めたGASOLINE・STANDで作った曲です。コロナ禍以降の再スタートはこの曲のセルフカバーから始まります。どう思いますか?

 


この曲の歌詞は「誰も笑わないで欲しい」という僕からみんなへの要望が主題となっており、Fmaj7 Cmaj7 Fmaj7 G2弦3フレット Fmaj7(2弦解放) C Dm C のループの上でリフレインされています。

ここで言う"笑い"とは、嘲笑や冷笑の事です。嫌じゃ無いですか? 僕はかなりそういう"笑い"がしんど過ぎて、ギリギリここまで生き延びてきたけれどずっと嫌だった。嫌なことを嫌だと言うことが出来ないように調教されてしまうと、主観的に異端だと思う対象を冷笑するようになるんだと思います。嫌なことを嫌だと言うのには人によっては訓練が必要だと思うし、NOと意思表示することによって急に危険な状況になってしまう位置に居る人がほとんどだとも思います。でも、僕たちが今ある程度生存できたのは、赤ちゃんの時にちゃんと意思表示出来ていたから。生まれたばかりの人間は嫌だと言う意思表示しか出来ない生き物。それさえ出来ないと生存出来る可能性はかなり低くなる。前ならえは気持ち悪いから死ぬより嫌だ。自分のことを愛する事が大切なのは当然として、自分にとって死守したいものはなんなのか、名前や見た目など自分にまつわるほとんど全てが削ぎ落とされた時に、自分が自分であるために譲れない部分とはなんなのか、それが名付ける事が出来ない感情なんだと思う。

嫌と言えないとストレスで怒りが生じる。その怒りは自分や他者に向けられるが、原因が解決しないかぎり生じ続ける。そのうち繊細なシナプスは焼き切れてしまう。怒りは生じさせられるものではなく、提示するものであるべきだ。親や教師に怒られ過ぎた結果、怒り無きコミュニケーションには心動かされなくなってしまっていた(激辛じゃ無いと食べた気がしない感じに似ている)。言葉が使えるならコミュニケーションに怒りは必要無い。怒りは助けを求める悲鳴であるとともに怒りは言葉が届かない大きなものに対して提示すべき武器である。怒る前に嫌なことには嫌と言って断り、聞く耳を持たないものに対して冷静に怒りを提示する人が増えたら余計な怒りは減ると思う。(怒りは嫌いだ。でももうずっとこの国の政府やレイシストたち、家父長制にはうんざりだ。今すぐ消えて欲しい。)

 


コロナ禍で感じた事はたくさんあった。政府の対応の絶望と未来への不安、貧困の苦しみ、病と薬との付き合い方の難しさ、腐った特権を死守するために誤った情報を流され続けるタイムラインへの悲しみ。子供の時ショッピングモールで聴き続けたあの曲が夕食の事だけを考えていたら良かった懐かしい時間に連れ戻す。だけど僕たちは脳みそにプログラムされたクリシェをハッキングする。腕力で組み替えて、違和感がある方が良い。違和感が意図になるまで、もう一回そこからやってみよう。もう一回、もう一回。それでも毎回違うからこの曲はバンドでやる必要があった。

 

 

 

 


このトラックの聴いて欲しいこだわりポイントはここです。「イントロは鴨川デルタの先端でカセットテープで録音したサックスの音をラジカセ搭載のスピーカーから出して再度コンデンサマイクで録音したもの。そこからゆきさんのギターフィードバックを四つ重ねて入れた。「そのままで」の前部分、デルタの先端で録音した水の音、小金井のパッカー車の音、鴨川デルタの先端で録音したサックスのテープ音源後半をライン出力し、七度ピッチシフトして、オートチューンで黒鍵だけなぞるようにしたものを挟み、その後のサックスも雅楽の笙をイメージしたピッチシフトをミックスしたものをいれました。」

 

f:id:osamuosanai:20230316225254j:image