自分は他者だった。

自分は他者だった。そんな事、気づいていたけれど、理解したのは初めてだった。

勝浦さんが以前、コンタクトをつけたままにしていたからか眼球の表面に張り付いてしまって取れなくなってしまった事があった。無理やり取ると目の表面も剥がれてしまって、痛くなったって。

ぼく自身も取れなくなったコンタクトのようにくっついてしまっていた。何がくっついていたのかと言うと、ぼくという人間とぼく自身。

子供の時から窮屈だなーと思っていた。身体が弱かったし、貧乏で、両親は怖くて、自分の見た目や性格が嫌いだった。体が弱かった事も、貧乏だったことも、両親が怖かったことも、それによって自分のことが嫌いな事も、自分で選び取ったものでは無いし、今生きている事も偶然。そのうち死ぬことは必然。生きている事が偶然で、生きている理由も分からないのに、なんかとても恐ろしさを持った死はすぐに目の前に立っていて、人生は本当にクソゲーだと思う。でも人間が作った面白い作品とかが割と残っていて、悪く無い部分もあるけれど、それでも辛い事ばかり目に入ってしまう。ずっと胃がチクチクと痛いんだ。

そんな辛さと共に生きている事も全部偶然。だからぼくは必然性が欲しい。なぜここに存在しているのか、納得できる理由をいつも求めている。音楽もセオリーより必然性をとても大事にしている。それはそのメロディの存在を大切にする概念だと感じているから。なんでもありだと、把握しきれない。デザイン的には把握できる範囲の情報量を綺麗に並べたい。

 

最近髪を青く染めたら緑になった。メガネが似合わなくなったからコンタクトを買いに行った。まだ取り外しに苦戦している。

 

日曜日、3曲ミックスが終わった。江添さんのホームスタジオで集中して作業をした。その後江添さんと、ゆきさんと勝浦さんと酒を飲んだ。完成した感じがあり、かなり嬉しかったし、ビールが美味かった。勝浦さんと西院から歩いて出町柳に帰ってきた。出町柳で勝浦さんと別れて、家に帰っている時に急に自分に対して感謝とリスペクトを初めて感じた。不思議な体験だった。自分は自分の事を欺けないというシステムを初めて知覚した。

他者から何か言われた時に(特に感謝やリスペクトを表現するポジティブな言葉)それを信じるということは「欺かれるリスクを背負って信用している」ということ。だから気持ちを伝えるってほんとに難しいと思う。難しいよ...。ぼくは周りにいる友人を尊敬していて、貴重な人生の一部を使ってぼくの相手をしてくれることに感謝している。彼らにありがとうと言うことはあれど、その言葉にこの気持ちを詰め込んで伝えることは不可能だし、する必要も無いと思ってる。でもそういう友人に対して感じている感謝と尊敬を自分自身に初めて感じた。その気持ちは言葉を介さず心から心へ伝わるものだから(内部で起きていることなので)生まれて初めて感謝されて気持ち良すぎて大号泣してずっと道を譲る大鉄(浦安鉄筋家族)の気持ちが分かったようだった。

(しんどくて面倒な事が沢山ある人生だったのに、今日良い録音が3曲できて、良くここまで付き合ってくれた。ありがとー...。)

そう自分に言ったし、言われた。

自分はどちら側でもある。でも生まれた時から今の自分じゃ無い。今の自分が存在するのも偶然なんだけど、今は自分の意志で音楽したり、仕事したりして生きてる。意識はグラデーションだからどこからそれ以前、以降と線引きする事はできない。でも明らかに肉体は老いていてついてきてくれている。古いギターを弾いたり、ボロい車を運転してるような気持ちがある。

来週初めて胃カメラを飲む。ギターと一緒で身体もオーバーホールしなきゃと思ったんだ。

まじで生まれてからずっと色々あって毎日大変なんだけど、よくここまでギリギリ辿り着いたと思うよ。時間が無いから慎重さを保ちつつギアをあげていこう。

松本君への私信

創作するためには時間と環境を自分に用意するのが一番重要だと思います。ただの日記なら今すぐに書けば良いだけですが、人に読ませるための作品を書き切るつもりならば、冷静な精神で推敲する必要があります。音楽もそうだし。僕らは基本的にライブハウスで演奏するバンドをやっています。ライブハウスというのは酒場です。酒場のミュージックな訳です。盛り上がったり、しんみりしたり酒呑たちがオーディエンスな訳ですね。でも、僕はライブは大事だと思っているけれど、鼻歌でできたメロディと歌詞を音楽にしているわけだから、誰かの鼻歌になってもらうための音楽だと思っているんです。そのために録音しています。酒場のミュージックの場合、演奏している人も酒を飲んで、場の雰囲気をオーディエンスと共有して演奏するのがコツだと思います。ユリシーズはみんな酷い酒飲みですがライブの時に酒を飲まないようになりました。すると音楽の質がやっぱり変わってきたように思います。人前で演奏したり、人と話したりもそうだけど、酒を飲まないと辛くて辛くて出来なかったんですけど、今は演奏する一音一音への意味が深くなっていて、その繊細なニュアンスを演奏で表現するために素面でないと、実現出来ない音楽を演奏するバンドになりました。でもそれは演奏者としての認識でしかなくて、リスナー的には何が変わったのかあまりよく分からないくらいの差なのだと思いますが...。でもすごく演奏するの楽しくなったんですよね。話を元に戻すと、酒を飲まなくてもライブしたりできる状態に自分を持っていく環境が偶然整ったから今楽しく創作ができているんですよね。今までは体力と精神だけが資源で、それをどこまで擦り減らせるかのチキンレースでした。それで生み出せたものは想い出でしかなくて、音楽的には自分が聴きたいと思える音楽は今まで作ったり演奏したりできた事が無かったです。パンクの呪いだなと思います。社会や自分の境遇への怨みを悲鳴にする手段として音楽を演奏していました。今もリスナーからするとあまり変わってないかもしれませんが、僕的には今のユリシーズの音楽は超コミュニケーションって感じです。僕の伝えたい事って歌詞はあるけど、言葉ではなく音楽なんだなあと思いました。音楽が伝わる時はすごくはやい。僕が伝わる演奏をライブで聴いた時に、その演奏者になんと言えば良いのかいつもわかりません。良かったです!!って言うのはなんか違うというか、何が良かったのかと言われたらとにかく言葉よりも速く伝えたい事が伝わった事が良かったんです。それは美味しいとか気持ち良いみたいな快楽とは違う感覚だなと思います。気持ち良い事や美味しいとか、そう言う事はよかったです!!って自然に出るんですが、良かった演奏とは、気持ちよかったわけではなくて、言葉では表現できず、音楽でしか表現できない、喜怒哀楽のどれにも当てはまらないユニークな感覚が音速で伝わった感動なんですよね。だからよかったですでは感想を伝えられないんです。だから難しい。でも、演奏している側的に、今ちゃんとそれ(音楽)が表現出来ているという実感がある時がある。

松本君が小説とか、この手紙とかを書く時、読ませる時ってどんな気持ちや考えがあるんですか。それが一番気になる事です。

新しいゴースト

スマホの普及とか、仮想通貨など目を向けると未来を感じるものや出来事ってあるけれど、普段暮らしていて見ている建物や乗り物のデザイン、その内装、食器、寝具など昔から変わらない物ばかりに囲まれて暮らしていて、太古の人間の夢をみているんじゃないかと思ってとても不安になる事が増えた。なんで不安になるのかな。例えばこのコップなどは1万2000年前の人だってこれは新しい物だと思って使ってはいなかったと思う。いつから我々はコップを使うようになったのか思いを巡らすことはあれど。新しい感覚、新しい概念に触れたいし作りたいと思って生きてきたけれど、当然何かと比較しなければ新しいという感覚は無い。新しい古いという感覚は時間に似ているけれど生き方の哲学でもある。

 


「新しくないといけない/新しくてもいい。古くないといけない/古くてもいい」

 


たまに懐かしさを感じる事があるけれど、懐かしいってなんなんだろう。必ずしも古い物だけに感じる感覚では無い。僕は割と感覚も料理だと思ってるから、懐かしさは強烈な香りがするし、少しだけ使う事により効果的なスパイスだと考える。あとは距離がある物に対して感じるものだとも思う。いつも囲まれている物に対して懐かしさはあまり感じる事がないため。

最近は懐かしさを感じる事がなくなった。何を見ても古いなと感じる。

(でも最近観たserial experiments lainというアニメは古いアニメだけどめちゃくちゃ新しいと感じた。カイバというアニメにも新しさを感じた。ぼんやりとした新しさをではなく、明確な意図を持って未来に伝えないといけないメッセージがそのまま作品になっておりどちらも素晴らしかった。感服した。)

その原因はやっぱりサブスクでいろんな時代の音楽を消費しまくっているからなのかもしれないな。裸のラリーズ、落とせばただのノイズという名言ここに極まれり。でも周りの友人たちはP2Pラリーズを落としていた人が多くて、彼らはその後もラリーズを愛している若者たちだな。僕もそうだし。

 


ここ2年くらいは90年代のオルタナティブロック周辺を一つ一つのバンドの軌跡をなぞるように聴いているんだけど、消費されすぎて古くなったものと消費され尽くされないばかりか新しい概念を纏って新しくなったものとに別れるなと感じる。そうなった時に自分は明らかに後者に魅力を感じるし、もっとその新しさを解き明かしたいと思って何度も聴いたり映像を観たり、それらにまつわる書籍を読んだりする。

 


新しさの感覚に取り憑かれているんだなと思った。まだ感じたことのない感覚にアクセスしたい感情に。

だけどそれは人と共有する事が難しいし、音楽は共有するものだから伝える事を考えるとまた頭を抱えて寝込んでしまう。

 


昨日は大粒の泪にてグッドミュージック共有会のパーティがありGASOLINE・STANDでライブした。

NISSEKI blueをフィジカル化してくれたMangalitza Recordsの井上Uさんが今年死んだ。結局一度も会えなかったんだけど、minna kikeruで僕を見つけてくれてbandcampでメッセージをくれたところから始まったリリースプロジェクトだった。LINEや通話でたくさん応援してくれてて熱い人だった。今頑張れてるのは完全に彼のおかげ。

GASOLINE・STANDはコロナ禍に突入してバンド活動ができなくなり始めた宅録だった。その時にはギターの音も好きじゃなくて、若者でも無いけれどギターの音がある音楽を聴けない感じになっていた。弾くのも面白くなかったし。だからギターを使わずにやるプロジェクトとして始めた。だけど井上さんはギターを弾きながら活動した方が良いとアドバイスしてくれていた。yeuleみたいなイメージを抱いているのかなと漠然と思っていたんだけれど、そこからギターという楽器について考える時期が始まって、90年代のオルタナティブロックを検証する様に聴く様になった。ギターも買って弾き方やコード、音についてまた考える日々が始まった。バンドも再開して、メンバーも再編成して、レコーディングも始まった。振り返ると順調にやってて良かったねという気持ちになって来たけど、主観的には毎日死ぬ程のダルさと向き合ってギリギリ生存している感じなんですが。コロナ後遺症なのかな。

それで昨日はそれで初めてギターを弾きながらのガソスタをやったんだけど、色んな人にしっかりフィードバックを貰えてやって良かったなと思った。今はギター弾くのが一番楽しい。ギター弾くのが好きになったところから音楽を始めた事を思い出した。ただ練習して弾くだけだといつか飽きる事だと思うけど、何度もリイシューされ続けて形を変えずに生産され続ける死んだ木は幽霊よりも存在感のあるフィードバックを鳴らす事ができるという点において他の楽器を超えている。

 


昨日はウンラヌのギタリスト祥三君もギターインプロを演奏していたんだけど、めちゃくちゃ良かった。信じられない演奏だった。それこそVOXのキャビネットから出てくる音が幽霊の様な存在感を持っていた。僕は幽霊を見た事ないし、存在を感じた事無いけれど世の中には幽霊を見る人や、心霊コンテンツに溢れている。存在しないかもしれないのに物凄い存在感だなと思う。そんなに勿体つけていざ正体を現した時にきっと祥三君のギターのサウンドと比べたら果たしてどちらが凄いのか。そんな事を考えた。カート・コバーンエレキギターは死んだ木だと言っていたけれど、音は死んだ木から出てくるゴーストなのだと言いたかったのかなと思った。絶対そうだと思う。ゴーストは人をもっと怖がらせてほしい。戦争は病気の恐怖ではなくてゴーストの恐怖で絶叫したい。怖すぎる!!!って。エレキギターにもそう思う。

 


イベントの終盤BONGBROSのP.Eさんがこの曲をかけた。

 


https://music.apple.com/jp/album/%E5%A4%95%E6%97%A5%E3%81%AF%E6%98%87%E3%82%8B-feat-%E6%9D%BE%E7%AB%B9%E8%B0%B7%E6%B8%85/1578279265?i=1578279832

 


感動しました。

 

なんで音楽やってるの?

 


今はできるから。

明日はできないかもしれない。(明日はレコーディングだから絶対やります)

声が出ないとか、手が痛いとかそういう病気や怪我がきっかけかも知れない。

精神的に無理になるかもしれない。今だってギリギリだ。

どんな状態になっても音楽をやる人はいるけれど、僕はどうかわからない。

(音楽に大事な要素は発見と共感のバランスだと思う。それは音なのか、歌詞なのか、何のどこにフォーカスするのかっていうこと。)

 


要介護になったとしたら生き延びるために踏ん張れる人は限られる。訪看やホームヘルパーが来ることだって、1人にして欲しい人にとっては苦痛なんだ。僕は人の手を借りないと生きていけない身になったら本当に辛いだろうなと思う。それをしている側だからよくわかる。

 


そうなると僕は今と同じような音楽の仕方がきっとできなくなる。バンドで、録音したり、ライブしたりっていう活動のスタイル。素朴だな。素朴だけど、このスタイルにはしんどい事が沢山あって、それを気合いで乗り越える前提のデザインになっている。特に人とやるという事は僕にはハードルが高すぎると音楽を始めた時から思ってる。でも他者と音楽がやりたい気持ちが強すぎると音楽を始めた時から思ってる。

 


きっと身体が動かなくなったら音楽を聴き続けると思う。聴くことが好きだから。でもその時聴きたい音楽はきっと今と違うんだろうな。

今日は岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」

 


https://youtu.be/4xUufRft9Hs

 


をなんとなく知ってる曲だったけど、初めて歌詞を見ながら聴いた。とても良い歌だと思う。最高。

この曲は遠くから誰かを熱烈に応援してる手紙だなと思う。別れた人とかだと思うんだけど、これを聴いたファンたちは絶対自分応援してくれてる!!っていう気持ちになってダクダクとドーパミン出るだろうなーと思った。

でも僕はこの手紙が自分に向けて歌われていると思った時に嬉しく無いタイプの人だなと思った。美しいメロディや、歌い方に発見はあるけれど、歌詞を作った時の気持ち、またそれをファンたちに聞かせようと思った気持ちに共感できないんだ。

この作品を聴かせてくれてありがとうという気持ちになる作品が好きなんだと思う。それは愛とか、がんばれとかじゃ無い。もっと素朴なものである場合が多いような。あるいは的確なメッセージとかかな。デヴィット・ボウイの歌のような...。

僕は身体的・精神的に動けない人に対して自分も何かやってみようとか、明日も生きてみようとかそういう力になるような音楽を届けたい。それはもし自分がそういう立場になったときに聴きたい歌であるから、ポジティブな手紙ではないんだよね。これは多くの人が共感すると思うんだけど、落ち込んでるときに一番元気になれるのはNirvanaだし、これに共感する人は生きづらい人が多いと思うし、これが一番売れてた時代は生きづらい人が沢山いたんだなと思う。でも本当に感謝してるNirvanaが魂を売ってくれて音楽は本当の意味で多様性を持ったように思う。でももし自分が音楽やってなかったらNirvanaなんて意味がわからないままだったと思う。一曲一曲で表現した事が複雑過ぎて、語ることは無限にできるけど...。語られ過ぎて売れてしまったのかも知れないが...。音楽をやっていなかった自分、あるいは音楽を辞めた後の自分が一歩踏み出せるための発見と共感が絶妙なバランスでアートワークをサンドしているような音楽を作りたい。

明日はレコーディング頑張ります。

pavement

pavementはローファイの代名詞だけど、ローファイの概念ってジャンルとしては定まってないと思う。

pavementっぽい、sebadohっぽいバンドがローファイって言われてきたけど、今はインディーロックと呼ばれるようになったよね。ローファイって音質の事だから、下手ウマ(に聴こえる)バンドをローファイと呼ぶことへの違和感がそうさせたのかな?と思ったりするんだけど。(例えばハイテクなものを使えない人のことをアナログ人間と呼んだりする事に似てるような。それが高じて電気を使わないものをアナログと呼んでるシーンなどを見たりするけど、それは違う気がする。多分使ってる人はアナログテレビ世代っていうニュアンスがあるんだろうな。)

90年前後はそんなバンドばかりだったと思うし。現代も90sリバイバルでヴェイパーウェーブを経たインディーロックの再解釈が行われていると思う。フジロックに出演していたsnail mailもpavementyo la tengoをリリースしているマタドールからデビューしたインディーロックの若いロックスターだし。サウンド聴くと腑に落ちるものがある。

 


インディーズというのはにDIYSST(1978〜)というレーベルを始めたBLACK FLAG、同じくdischord(1980〜)というレーベルを始めたマイナースレットという二つのハードコアパンクからはじまった。80sにMTVの影響で見た目がどんどん派手になる商業HR/HM勢に対抗した時にハードコアが二つのジャンルを生み出した。ハードコアパンクの速さと激しさを吸収したメタルとしてスラッシュメタル。メタルの重いリフを要素を取り入れたパンクとしてのグランジ。どちらもやがて世界に広がるジャンルなんだけど、メタルやるような人たちがパンク精神をうっかり取り込んでしまったり、パンクスなのに流行っていたメタルのサウンド(彼らの多くは表立って告白できなかったかもしれないけれどきっとキッズの時にラジオから流れるヘヴィメタルに首を振っていただろう)に抗えなくて取り入れてしまったり、何が良いとか悪いとかが混沌としていた時期だと思う。そういった商業ベースではない形で初めて生まれたロックの成れの果てがどんどんインディーズとしてDIYで活動していく。それでもハードコアはライオットするための音楽だったから怒りや退屈を持っている若者たちの支持を集めていく。スタジアムで観戦するエンタメになってしまったロックがダンスミュージックに戻ってきたような感じだったのかもと当時のことを想像する。

 


そんな中で彼らに触発されてキャルビン・ジョンソンがKレコーズ(1982〜)を設立。このレーベルが初めてローファイと呼ばれるインディーロックを世の中に提示した。KレコーズからリリースされるバンドはDIYハードコアパンク精神を受け継いではいるけれど、ハードコアパンクサウンドをサンプリングしなかった。誰も真似できない(しようと思わない)音楽を作るという意味で作曲にパンク精神を移植した音楽をリリースし続けている。似たようなサウンドが増えるとそれはムーブメントになるけれど、そもそもがアウトサイダーの集まりだという事を考えるとパンクが群れること自体がナンセンスなのかもしれないと思わせられる。音楽ジャンルはコード進行とリズムで名前をつけられるという前提で言うと、Kレコーズがはじまって、ロックにオルタナティブという概念が導入されたのではないか。1曲の中で脱臼し続けるという意味において。Kレコーズはカート・コバーンが宣伝しまくった事で有名になったけれど、それでも商業的に成功した音楽家は少ないと思う。Beckはなぜかどう考えても成功した。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/K%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%BA

 

pavementは89年に結成された。インタビューでスティーブン・マルクマスが言ってた。

 

僕は自分の歌が下手だと思ってた。
っていうか、よくあるこどだろうけど、ヴォーカルとして歌ってみるのが怖かったのかな。

でもこれ幸いというか、80年代後半のインディ・ロック・シーンには、ビート・ハプニングとかパステルズがいたじゃない?
音程の不安定なバンドがさ(笑)。
「これなら僕にもできる、大したことじゃない」って安心したんだ。
スティーヴ・マルクマス / クロスビート1997年8月号)

http://sound.heavy.jp/grunge/band/alternative/5/pavement.html

 

ローファイの先駆者たちに勇気をもらって、sonic youthが変速チューニング(サーストン・ムーアはギターの技術に自信がなかったので変速チューニングを用いてリフを作る作曲スタイルになった)を用いたリフによって耕した土壌の上でpavement(ほとんど変速チューニングで作曲されている)は開花した。

 


90sインディーロックのサウンドと、00sのメロコアが同時並行にリバイバルで流行ってる印象があるけど、インディーロックのサウンドはロックバンドに流行っていて、メロコアサウンドはラッパーやハイパーポップのクラブミュージックの世界で流行ってる。これってサンプリングの概念の解釈の違いが現れている現象だと思うんだよね。

 


バンドは楽器のプレーヤーの集まりだから、ロックバンドは特に使用する楽器からサンプリングについて考える機会が必然的にある。例えばエレキギターがいつまで経ってもフェンダーギブソン(のつくったシステムで)しかないこと、アンプも然り。それら有名なメーカーが出し続ける新商品のほとんどは60年代のモデルのリイシューばかりであること。その結果、その時代のオリジナルが重宝されてヴィンテージと定義され続けていること。どんな音楽も時代によって変化し続けているはずのに、エレキギターは変わらない。70年代にジミヘンが弾いたストラトは当時作られたばかりの楽器だった。古くなって良い音になったのか、当時の技術が良かったのか、当時の演奏にエレキギター奏者全員が憧れているのか、いろんな疑問が生まれるけれど、長い間ロックバンドというフォーマット(エレキギター、ベース、ドラムス)が手っ取り早い魔法陣だったことでロックのサウンドが進化しつつも楽器とそのサウンドはほとんど変わらない時代が続いてきたことは間違いない。

自分にも音楽ができるかもしれないと言う衝動からエレキギターを買ってとにかく弾いてみたけれど、こんな古い楽器で新しい音楽ができるのだろうかと不安と膝を抱える。評価されたいという気持ちと、評価されている音楽はダサいという葛藤。そんな葛藤によってロックは進化してきた。

でももうそんな呪縛からは全員が解き放たれているはず。ヒップホップが完全にポップスの主役になった今、かつてのエレキギターが担っていた役割をiPhoneが請け負っている。やっと古い楽器から自由になれたのか?

古い楽器から自由になっても別の呪縛がそこにあった。タイプビートのカルチャーはサブスク以上に文化的な消費速度を高めていると思う。今はラッパーたちはYouTubeでタイプビートと呼ばれるビート(○○タイプビートという名前だと、○○みたいなラッパーっぽいビートという意味。ビートメイカーはそうやって有名なラッパーっぽいビートを作ってアップロードする。有名なラッパーにビートを使ってもらえると名前が売れる)を賃貸したり使用権を買ったりして、それにラップを乗せている。機材から自由になれても売れることでしか実在できない競争率の世界になってしまったので、音ネタではなくスタイルをサンプリングし続けることが主流になった。(と言ってもまだまだトラップベースの音楽だから808やオートチューンがエレキギターと取って代わったくらいの感じなのかもしれない。そういう意味では古い楽器の呪縛からは逃れられていない。)

この消費感覚の速さって呼吸に近いものがある。でもsnsネイティブの子供たちがDiscordやサンクラで盛り上がってるのはコロナ禍の希望の部分なのかもしれない。digicoreについての記事が面白いです。https://www.google.com/amp/s/fnmnl.tv/2022/03/29/144800%3Famp%3D1

 


かと言っても彼らも当然歳をとり、ほとんどのアーティストは食えないままだろう。いつまでこの状況がどのペースで続くのかはわからないけど、現実で会えないとか、ネット弁慶になってしまうとかもあり得るのかもしれない。

ハイハイウーピーの休止についての記事を読んだ時、こういう事アーティストでも起こりうると思った。https://note.com/kusyami/n/n0371a58225bd

 


話を少しまとめると、ロックバンドというフォーマットが一番手っ取り早い魔法陣だった時は音楽をやる人は音楽をやるために楽器を入手して、メンバーに出会わないといけなかった。

現在は音楽をやりたい若者はすぐにガレージバンドサウンドクラウドで音楽を始めている。彼らにとっては音とネットでの繋がりが全てだから孤独を武器にして今の波に乗れるスタイルをサンプリングして作り続けてアップロードし続ける必然性がある。00sのサウンドやファッションを取り入れているのは波に乗るために必要だからであり、そうである必然性はない。

今若くしてロックバンドをやっている人たちは親が楽器をやっていた人や近所に音楽的なコミュニティがあって、自然とロックバンドやる必然性が生まれた人たちが多いんだと思う。彼らは古い楽器を用いるという呪縛の中にいるけれど、その先端で音楽を作っているだけだとも言える。90sインディーロックリバイバルと言われているけれど、それは売上の上での話でしかなくて、今現役のバンドはpavementであれダイナソーJrであれ、Pixiesであれ、本当に現役なんだなと思う。それは自分から売れ線の波に乗ろうとしないけど、散々売れた名曲に影響を嫌というほど受けてきたという音楽への愛憎由来の葛藤、との向き合い方から感じる。

例えばSUPERORGANISMの脱臼させ続けるサンプルの散りばめ方や美しいメロディラインにはpavementをとても感じるけれどpavementをサンプリングしたようには感じない。SUPERORGANISMは変わらないと思うからそのうちすぐに忘れ去られてしまい、もしかしたら解散してしまうかもしれないと思う(活動がハードだから)。偶然フランク・オーシャンにピックアップされてデビューしたけれど、ニルヴァーナとあんまり変わんないんじゃないかと思う。スタイルが(自然体なので)偶然時代にハマりすぎていたせいで、持て囃され過ぎてしまい、頑張りすぎているだけなのでは。ただ、DIYオルタナティブな音楽を作っている地平に住んでいたオオサンショウウオ的な何かのように思える。だけど彼らは楽器に縛られていないからウケる。

 

 

 

 

鬱が深くなりそうになった時に

すでに情報と距離は置いてる?

とりあえず、終わりなく寝ようとすると思うけど、小さい音で音楽聴いたり、外に行かなくても体外離脱のイメージで外を散歩する。子供の時しか行かなかった記憶の中の場所にアクセスして、その時の気持ちを味わってみる。その時抱えていた孤独や辛さと今の病的な症状は色も形も匂いも全然違うから照らし合わせて相殺させてみる。残ったものが今使える自分のソースだから確かめて持って帰る。

20220522ネガポジ HYPER GALレコ発

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が終わった。神回だった。

ユリシーズは2年前の2月にアバンギルドでMeepingたちとやったパーティ以来の演奏だった。

めっちゃ緊張したけど、最初だったから自由にできた。最初は良い。酒も飲んでないし。でも酒飲んでなくても演奏は難しいよね。

 

スタジオでのバンド練習は宇宙船のようで、インドアな趣味の極みのようなインナートリップなんだけど、ライブになると真逆になる。音楽を作ることや楽器を練習すること(したいこと)と表現を発表する事は真逆である。みんなの目や耳を通してどこまで伝える事が出来るのか検討もつかないんだけど、必死で想像し続けた。

ネガポジのfenderのアンプはボリューム1でマイクいらないくらいうるさくて良いな。

僕らはどこへ行くのか、音楽を連れて行くのか、音楽に連れていかれるのか、分からないね。

めちゃ楽しかったです。

今週末はソクラテスでメシアのレコ発

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