音楽とは何なのか。

音楽の作り方には2つのレイヤーがある。それを用いてデザインしていく。

1つは好きな音楽の要素を足す思考。

もう1つは嫌いな音楽の要素を削ぐ思考。

この2つの思考がメロディ、コード、ビート、音像などいろんな要素の上でほとんど無意識のうちに駆け引きをしており、音楽を作り上げている。

その無意識下の駆け引きを顕在意識に引っ張り上げてくる事で自分がなぜその要素が好きなのか嫌いなのか自覚的になることで音楽を聴いて理解できる幅は広がるし、くだらない経験によって培われた排除的な性格が柔和していくだろう。

 

今、改めて言うまでも無く、音楽はこれまでで一番溢れており、消費のされ方がエグい。

サブスクが始まった事、音楽を誰しも簡単に作れるようになったこと、それからAIの登場も加速に拍車を掛ける。

音楽が溢れてることは超良いことだと思う。でも音楽を消費する速度が速いのはつまらない事だと思う。それは聴く方も作る方も音楽と向き合うための視点を維持する事が難しくなるからだ。視点はある程度体系化された知識の上で運用していかなくてはならない。その理由を説明する。

音楽のゴールを共有(自分が他者に聴かせたいと思う音楽を何らかの方法を用いて聴かせるという事)とするならば、何を持って共有するという事が人間にとって有益な行為となり得るのか。共有される音楽には情報として2つのレイヤーが存在する。

 

①楽曲そのもの。

②その楽曲を共有したいと思った理由や感情。

 

現在①の共有はいつでもどこでも誰とでも出来る世界になっている。①こそが溢れかえっている音楽そのものだからだ。そして実際に常に世界中で共有され続けている。作る、聴く、聴かせるという音楽的行為が世界中で加速し続けている。アップロードは静かに行われるが、地球で現在鳴っている音楽の総量は確実に今までで一番大きいはずだ。みんなのヘッドフォンから漏れている音楽をかき集めて塊にしてみたい。一体何dBになるだろう...。

一方②の共有はどんどん希薄になっている。なぜならそれは言語を用いたコミュニケーションだから。気持ちを言葉にする速度に限界がある。また無理してその速度を上げる必要性も無い。音楽を他者に共有するモチベーションがある人が日々聴いている楽曲数は多分1ヶ月でミュージックマガジン1巻分に収録されている楽曲数を余裕で越えると思う。それらを語る言葉を持ち合わせることは不可能だし、たとえ音楽を語る仕事(作曲家含め)をしていたとしても音楽を聴きたいとか知りたいという気持ちには抗えないだろう。

でも2、3分しかない1曲にも、その作曲家でさえ堀りきる事ができないほど情報が刻み込まれている。毎日同じ曲を何度も聴く事でその曲を歌えるようになったり、演奏出来るようになる。そうなった時に音楽的な気付き、楽曲内に隠されている秘密を初めて知る事ができるし、その延長線に立体的な理解がある。体系的な知識を獲得するための音楽の聴き方とは何度も同じ曲、同じアルバム、同じ時代の同じジャンルの音楽を聴き続けるしか無い。

毎日同じ曲を聴いていたら飽きると思われているかもしれないけれど、それは間違っていると思う。毎日飽きもせず心臓を動かし、肺を汚して、寝たり起きたり食べたりしてる僕たちが音楽を聴く事に飽きるという事は本当は無い。別の音楽を聴きたくなってるだけなんだ。その選択肢がもし無かったとしたら、ぼくはきっと無人島で毎日thanks for comingの「thanksforcoming.bandcamp.com」を聴き続けているだろうし。

https://m.youtube.com/watch?v=x34firbYZPY&t=11s&pp=ygUudGhhbmtzIGZvciBjb21pbmcgdGhhbmtzZm9yY29taW5nLmJhbmRjYW1wLmNvbQ%3D%3D

そもそもどんな音楽も聴くことが最高なんだよ。嫌いな音楽があるって事って超贅沢な悩みなんだなって思うよ。

 

話が脱線した。

②がうまく運用されないと音楽を共有することを人は辞めていくだろうと思う。勇気を出してVOTE VOTEと言い続けても投票率があまり上がらずに京都市長選で希望の福山さんが落選してしまった。そのショックにより政治に関わることを辞めてしまう人がいるかもしれないように。(だれも対話をやめないでくれー。始めよう、対話。いつでも始められるよ。)

①だけの共有だと作曲家もdjもインスタントな(ガムやフリスクレベルの)快楽を求める事しかできなくなる。❤️の数を数えても虚しい。消費の速度が加速した結果の世界に僕たちは生きている。blonde後の世界でもあるけど。

 

2/24 西院のsubmarineでKASHIKOI ULYSSESは演奏した。最高のパーティ、全バンド良かった。僕らの出番は最後だったけど、みんなの音楽の雰囲気を吸い込んで吐き出すような良い演奏ができた。(カービィみたいなイメージ)

全部オルタナティブなバンドだったからか消費されづらい音楽だったという印象がある。毎日少しずつ食べるシュトーレンのような?

あと、やっぱりオルタナティブである事にこだわりを持っている作家の集まりだったからコンテクストを共有しやすく、①も②もライヴを通して光ファイバーの速度感で染み渡るようだった。

 

でもこれは僕が作家側だからだ。

そうじゃ無いお客さんはどう思ったんだろうか。来てくれたお客さんはほとんどアーティストだった。色んな感想があった。ライヴだとすぐに感想を共有出来るのが良い。

もちろんアーティストに音楽を共有出来る事は嬉しい事なんだけど、そうじゃ無い人や、音楽をそもそもあまり聴かない人、①の消費に疲れ切ってる人にもしっかり届くような音楽を作りたいんだよね。

いつも工夫はしてるんだけど、まだまだ広がりは持ててない。共演したpanicsmileは92年からずっとオルタナティブな旋律を信じて続けてきた事が伝わる演奏で感激した。

 

僕らのライヴの時mcでパレスチナで行われてる虐殺に対して怒りを持ち続けてる話、音楽を続けることによる抵抗についての話をしたんだけど、HYPER GALのKOHARUさんがガザについての本を読んでいることを話してくれた。とても嬉しかったです。

人が集まれば自然と対話は生まれる。自分の気持ちを信じて勇気を持つ事が表現にとって重要だ。

 

https://x.com/coffee_ippku/status/1761676057697268204?s=46&t=4wLEiJvehN77j6X9df6Hwg

 

波佐見町に住んで陶芸の仕事をしている野田さんがみにきてくれた。とてもかわいい器をプレゼントしてくれた!

音楽やってて良かったよ。これからも続ける。生き続ける。死ぬまで歌う。

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