新しい表現の形 ライブハウス以後

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20200312 WHOはコロナウィルスの影響はパンデミックであると定義した。

現在日本ではイベントの自粛、休校、リモートワークの推奨が行われており、街に人や車がとても減っている。

当然の様にライブハウスやお店は潰れつつある。昨日は夜想が閉店宣言をした。

楽家は無観客ライブの配信をしたりする様になった。出来る事をやる、今の生活を維持する。これがテーマという事らしい。

この大恐慌の行く末は現段階では想像できない。会社も潰れていくだろうし。医療崩壊も間近だろう。

僕らの様な兼業アーティストはこれから何をすべきか。今までは集う事、パーティする事が意味を持っていた。音楽的なエネルギーとパーティの思想を感染させたかったからだ。

自粛ムードによって店は減っているし、新しくお店を始めようという人も減ると思う。

何故ならコロナ感染が恐ろしいからだ。

見えないうちに加害者になってしまう事が。

ぼくはずっといろんな形でライブをしてきた。ライブをする場所がぼくの生きてきた場所だった。音楽をする前は空手家だと自認してきた。でも空手家を挫折したのは、自分が弱かったのと、これから社会に必要ないと思ったからだ。格闘する事ばかり考えていたら人と話す事も難しい人格が形成されていた。だから僕にとってライブは組手の延長でもありつつ、コミュニケーションとしては逆なんだ。1対1での戦闘ではなく、その日集まった人々に社会における弱い僕たちの抵抗と祈りを歌う。だって、日々が、あまりにも辛い戦いだという事を突きつけられてきた。互いの弱さをシェアすれば少しマシになる。人権を少しずつ獲得していける。そう思ってきた。

これからは何をしていけばいいのか模索している。音楽は続けていくけれど、音楽のフォーマットの中で新しいアートを設置していくことよりも、提示の方法を考えなければならないと思うようになった。

インターネットを通して音楽は無限に聴こえてくる。heyといえばwhat'supと帰ってくる。オーーイと腹の底から呼ぶ必要さえ無いのだ。だからこそ(作る事自体が尊いため)音楽の価値は上がっているし、また(作る事が容易くなり無限に消費されるため)下がってもいる。

たまやなぎさんとはオルタナティブな発想を続ける事について話していると、(やっぱりインターネットを使ったほうが良いのかなと思ったりもする。)一番新しい事はコロナだと言う。そうだよなーー。あと、前時代的な事でも悪くないと言う。確かに。

インターネットでシェアできない事にインターネット以降で得た事を盛り込みまくるパーティが最近の僕のテーマだった。

SNSのフォロワーは買えるけれど(簡単には)売れない。それでもいいねはクレジットとなり得るし、影響力という利息が後から帰ってくる。Twitterが始まったばかりの時に使っていたアカウントは全然おもしろくもないどころか倒錯していて完全に酷いものだったのだけれど、すぐにフォロワーが増えていった。現在はしっかり運営されているアカウントでもフォロワーが少なかったりする。

普通にアカウントが増えすぎているからだと思う。アカウントが増えると情報も粗雑になるし、デマは拡がりまくる。でもこれが現実だ。(インターネットは最高なのに、現実が最低だ。Twitterは現実だ。以前だと、嫌な奴に合うと、まとめブログばかり読んでいたりしたし、リテラシーは簡単に破壊される。現実が辛過ぎる。でもこれが現実だ。)

そこで僕らはどうするか、という事を考えている。仕事が終わって、社会と向き合って、貧困と、真偽のわからない情報と、聴く暇も観る暇もない作品が素晴らしかったといったレビューと、かわいい動物と、しろしろくんがあげる芸術品と、友達の苦悩と、友達じゃないやつの苦悩が混ざり合ったTLと向き合う。加速し続けている現実に休む暇は無い。

でも、これによって良くなってきた事だってたくさんあるから、希望もある。

ただ、これはあくまでTwitterなんだ。現実では無いし、アートでは無い。

ライブハウス以後

そして

Twitter以後

(そこにあるオープンフィールドで何か作って行こう。身体は一つだけど、魂は自由だ。

必死だと自分が何者でも無かった事を忘れてしまう。生きてるうちに出来ることという制限の中でやれる事は無限だと思うし)

○ライブハウスに行けないから配信を家で観るのはナンセンスだ。

○パーティにくる人たちは何を求めて集うのか。パーティは一晩で終わらない。いろんな場所はSNSで繋がり続ける。広がり続けていく。誰がサーバーなのかを知りたいし、自分の出来る事を探してもいる。

○インターネットより速いコミュニケーションができるようになる事を無意識に求めている。短文や動画を解読してリプライするのはもう遅すぎる思う。SNSは個のアウトプットを扱うサービスだが、用意された個より対話の中で滲み出てくる人間性の方がリスキーだけど音楽的だ。

○安いものが好きな人が増えすぎた。丁寧な生活という言葉自体がエゴイスティックに響いてくる。だけど、角打ちは最高すぎる。

○寂しさは昔から消費されてきたコンテンツ。

○日本における文化盗用について。

○言葉のバリアフリー。文化のバリアフリー

○何かの代用となれるシンプルさ。

○1曲を作るように、一つのサービスを作る事はできる。ライフハックだってそうだし、それがアクセス数で直接金にならない方が良いかもしれない。

○経済のこと考えて貧困を見つめる。

○通信費は勉強する時間を買っているという事。知る事はすぐにできるけれど、勉強は覚えたり身に付ける必要まであるからな。

○ライブハウスで鳴らされるべき音楽をやっているからライブハウスが僕らにとって必要な装置となっている。それを奪われたら僕らの音楽は変わっていくしかない。

○みんなヘッドフォン持っているからとりあえず聴いて欲しいと思う。頭の中で良く響く音楽、そして生活の中には何がある?平日休日朝昼晩一人二人部屋外晴雨喜怒哀楽

○こういう事してると、本当に一人で考えると柔軟な発想って湧かないと思うようになった。完全にサブスクによって最適化されてる。

"関係ねー"の力でやっていきたい。 ライブはもちろんこれからもやっていく。