今はいい音についてみんな敏感になりつつある時代だと思う。サブスクだってロスレス始まってめちゃくちゃ音が良くなったしね。中華イヤホン買えば安くかなり良い音を享受できる。
ライブでもいい音を聴きたいと心から思う。
一方で、曲以前に楽器の音そのものが好きという気持ちがある。音楽は細かく好みが分かれるけれど、楽器の良い音は共有しやすい。
音楽の役割について考えてた。
音楽は音であり、記憶でもある。
音というのは良い音であるほど良い。この良い音というのはレイヤーがたくさんある。例えば、サブスクがロスレスだとか、ヘッドフォンがどうとかと言うのは作品の再現性を上げるためのレイヤーであり、最上層に当たる。
ギタリスト目線の音のレイヤーを最下層あたりから思いつくままに書いていくと、
ギター→シールド→アンプ→キャビネット→
マイク→インターフェース→ミックス→マスタリング→
サブスク(ロスレス等)→ヘッドフォンやスピーカー
これのどれを変えても音が変化する。
上段はプレイヤーの領域、中段はエンジニアの領域、下段はリスナーの領域。
基本的には最下層で始まったものを濁らせずに最上層まで伝えるということが音楽を作るということであり、どれも重要なレイヤーだけど、最下層にあるものが一番重要だ。ギター...。
ギターで何を演奏してるのかというと僕らが作った曲を演奏してる。ギターで作った曲も、そうでない曲でも、ギターを実際に演奏してそれを録音しなくてはならない理由はない。でもなぜギターを録音するかというと、自分がギターの音が好きで、自分で楽器を所有し、練習して演奏までしたいと思うくらい好きなだけなんだ。
そして音楽の主体は音像自体だと思ってるからなんだ。良いメロディとかビートだって良い音で鳴ってな
ければ全く機能しないんだ。頭の中だけで作曲してたって音にできなければ完成しないように。
ここでいう良い音っていうのは適材適所。僕はイズミヤやフジグランでかかってるような冷たいのに暖かいような音楽がとても好きだし、それに影響を受けた音楽も素晴らしいと思う。それら個々の音源はとてもチープだけれどその場所で機能するためにチューニングされた音像になっている。
ギターには良いサウンドを作るための仕組みがたくさんある。木材も、塗料も、形状も、ピックアップや電気系統も全ていい音を召喚するために工夫されている。そしてそれらを用いて演奏を奏でる訳だけど、曲もいい演奏を聴かせるための機能の一つだと思う。音像が主体だと考えるといい演奏をする為に、曲があるという考えになるという事。曲なんてシンプルで良い、演奏も失敗しても良い、全体的に良い音像になっていれば。
絵のダイナミクスで例えると演奏とは線や色、曲は個展会場のインスタレーションに対応していると思う。
かと言って録音を聴いた人たち全員にギターを初めてもらいたいとまでは思っていない。良いメロディだと思ったら帰り道に鼻歌を歌って欲しいと思ってはいる(記憶としての音楽)。ギタリストにしか伝わらない言語はある。それを乗り越えていけたらとも思ってる。そういうギタリストになりたいな。