なんで音楽やってるの?

 


今はできるから。

明日はできないかもしれない。(明日はレコーディングだから絶対やります)

声が出ないとか、手が痛いとかそういう病気や怪我がきっかけかも知れない。

精神的に無理になるかもしれない。今だってギリギリだ。

どんな状態になっても音楽をやる人はいるけれど、僕はどうかわからない。

(音楽に大事な要素は発見と共感のバランスだと思う。それは音なのか、歌詞なのか、何のどこにフォーカスするのかっていうこと。)

 


要介護になったとしたら生き延びるために踏ん張れる人は限られる。訪看やホームヘルパーが来ることだって、1人にして欲しい人にとっては苦痛なんだ。僕は人の手を借りないと生きていけない身になったら本当に辛いだろうなと思う。それをしている側だからよくわかる。

 


そうなると僕は今と同じような音楽の仕方がきっとできなくなる。バンドで、録音したり、ライブしたりっていう活動のスタイル。素朴だな。素朴だけど、このスタイルにはしんどい事が沢山あって、それを気合いで乗り越える前提のデザインになっている。特に人とやるという事は僕にはハードルが高すぎると音楽を始めた時から思ってる。でも他者と音楽がやりたい気持ちが強すぎると音楽を始めた時から思ってる。

 


きっと身体が動かなくなったら音楽を聴き続けると思う。聴くことが好きだから。でもその時聴きたい音楽はきっと今と違うんだろうな。

今日は岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」

 


https://youtu.be/4xUufRft9Hs

 


をなんとなく知ってる曲だったけど、初めて歌詞を見ながら聴いた。とても良い歌だと思う。最高。

この曲は遠くから誰かを熱烈に応援してる手紙だなと思う。別れた人とかだと思うんだけど、これを聴いたファンたちは絶対自分応援してくれてる!!っていう気持ちになってダクダクとドーパミン出るだろうなーと思った。

でも僕はこの手紙が自分に向けて歌われていると思った時に嬉しく無いタイプの人だなと思った。美しいメロディや、歌い方に発見はあるけれど、歌詞を作った時の気持ち、またそれをファンたちに聞かせようと思った気持ちに共感できないんだ。

この作品を聴かせてくれてありがとうという気持ちになる作品が好きなんだと思う。それは愛とか、がんばれとかじゃ無い。もっと素朴なものである場合が多いような。あるいは的確なメッセージとかかな。デヴィット・ボウイの歌のような...。

僕は身体的・精神的に動けない人に対して自分も何かやってみようとか、明日も生きてみようとかそういう力になるような音楽を届けたい。それはもし自分がそういう立場になったときに聴きたい歌であるから、ポジティブな手紙ではないんだよね。これは多くの人が共感すると思うんだけど、落ち込んでるときに一番元気になれるのはNirvanaだし、これに共感する人は生きづらい人が多いと思うし、これが一番売れてた時代は生きづらい人が沢山いたんだなと思う。でも本当に感謝してるNirvanaが魂を売ってくれて音楽は本当の意味で多様性を持ったように思う。でももし自分が音楽やってなかったらNirvanaなんて意味がわからないままだったと思う。一曲一曲で表現した事が複雑過ぎて、語ることは無限にできるけど...。語られ過ぎて売れてしまったのかも知れないが...。音楽をやっていなかった自分、あるいは音楽を辞めた後の自分が一歩踏み出せるための発見と共感が絶妙なバランスでアートワークをサンドしているような音楽を作りたい。

明日はレコーディング頑張ります。