平和のために「なるべく怖さの少ない対話への導入マニュアル」を作ろうと思った。

テーブルとその上に置かれた二つのコーヒーカップ、あるいは一本の中瓶と二つのコップを挟んで目の前にいる人と対話をする。

目の前にいる人と、普遍的な人というものと、その中に存在する自分を映す鏡と向き合う時間が死ぬまでに幾度とある。謎の時間。

 


ぼくは物心ついた時から今までずっと人が怖いと思っているという自覚がある。怖い人では無いとわかっている人に対しても怖さがある。その怖さとは嫌われる可能性に対して慎重になっているために生まれた心の反応だと思う。なぜ嫌われることが怖いのか、色んな人が居るんだから自分の事をみんなに好きになってもらう事なんて1000000%不可能だってわかっているだろう。でもぼくはその人の事が知りたいと思っている。相手の心が閉じてしまうと本当の言葉を引き出すことは1000000%不可能になってしまう。本音では無い会話にどんな面白さがあるのだろうか。ただ1000000%本音でしか話せないぼくには目の前にいる人を意図的に喜ばせる事など100000000000%不可能なんだ!

この矛盾が生み出す恐怖を乗りこなすほどの度胸も無く、鬱々としながらも対話こそが大事だと信じて、今では精神障害を持つ人たちと一緒に過ごす仕事(本当に夢だった)に就くことができ、日々傾聴と対話を繰り返している。高校生の時放送部で朗読とアナウンスの練習に時間を捧げ、吃音が幾分かましになった事が本当に今に繋がっている。

 


対話のシーンに話を戻す。

話題は何も用意していないのにフローリングにばら撒いたビー玉のように幾つかの軌道を持って対話が転がり始めたら。あれを言ってみよう。

あれ、それ、これを、

一緒にあれをやってみませんか。

あれとはなんなのか。おそらく今日ではなく翌日以降予定を合わせてやる事である場合が多い事なのだろう。だってもう眠いから。

今までにたくさんの音楽家と友達になったけれど、今度一緒にあれをやろうというのはお決まりのセリフでどちらかが言う事になっている。それは必ずライブの事を言っているのだ。わかりやすくて助かるし、そう言ってくれた人達とはほとんど必ず共演する事が叶っている事が嬉しい。コロナ禍に入ってからはライブやパーティのお誘いを数えきれないほど断り続けているのだが、それでも誘ってくれる友達がいてとても嬉しい。

 


・作品

・バンド

・スケボー

・パーティー

・シェアハウス

・弱いzineの制作

 


以上が今までの人生でその時目の前に居た人にぼくが提案してきた事(少なっ)。

そしていつの間にか始まっていつの間にか終わったりした事。それらの事が"結果"なのだとしたら原因は対話にある。その夜の対話が種となるのなら対話なしには何も"結果"は開かない。コロナ禍で対話する機会が減って、その結果、"結果"が開かなくてもさみしくはない。「それは全て偶然なのだから」という呪文を用いるだけでいい。というようなツイートをして無味無臭のハートの記号を貰うんだ。それでいいかな。

 


でも待って、いいわけない。

だって対話が無ければ簡単に戦争は起きる。起きている。そこには抗えない絶対的な無力と幾度となく終わりない気絶を繰り返すような苦しみがある。爪で黒板を引っ掻く音の中に放り込まれるような絶望がある。

この世に麻痺する暇など無い。無いのだが、疲弊し切った神経はこれ以上の苦しみを拒絶する。NOWARと声を上げる事しか出来なくてもそれさえも出来ないくらいに摩耗してしまった。

対話はどこへ?2022年に電波ヨーカイザー(昔の携帯ゲーム機、流行らなかったから昔も誰も持っていなかった。現在はいうまでも無い)を携帯しすれ違い通信を試みるべく途方もなく歩き回っているようだ。教えてあげよう、電波ヨーカイザーを携帯している人は現代には居ないし、auは今月末3Gを終了する。その上かつて何処でも掘れば湧き上がっていた豊潤な対話は枯渇し、"結果"ばかりが高騰、スピードとコスパの時代へ。人類史上誰も明かすことのできなかった正体不明の謎感情であるさみしさに苛まれ180°角度のズレた対症療法としてのSNSが稼ぎまくる事態に。深いさみしさに苛まれつつもコスパの良い心の安寧を求めるヘビーユーザーたちの期待に応えるべく見たいものしかおすすめしない優秀なアルゴリズムはやはりスピと陰謀論者を融合させてしまい世界をクソふざけた脅威に陥れている。doom scrollerたちの親指を見ろ、発達して長すぎる(ウソ)。インターネットといえば利用者の少ないdiscordサーバーの片隅でなけなしのヌクモリティが微かに散見されるばかりになった。

 


人と人がいれば自然と対話ができるのだという慢心が戦争に繋がってきた。何処にいても誰かと繋がれるデバイスとしてのスマホは人間の心をハブにして文字や画像が行き交うだけにしてしまう。心って頼りない。性善説性悪説、どちらも心に頼り過ぎている。心って脆い概念だ。スマホが無くても飛行機がなくても伝言ゲームで人間はずっと繋がっていた。インターネットで遠くを近くのように知る事ができるようになっても戦争が起きているのだ。心は弱い概念なんだ。心を強くすることは出来ない(人を殺す凶器として精神論を振りかざす自己責任論は誰の為になっている?あと数年でこの世を去る老人権力者の無慈悲な小遣い稼ぎだ)。頑張るな。脱力せよ。もっと遅く、もっと弱く居ていい。話は絶対にそこからなんだ。各々が立ち上がる気力を持っているタイミングで差別を無くす方向に声を上げたり(不思議だけど声を合わせると大きな声になる)、"仕組み"を創造したりすることによって未来の社会を心にとってバリアフリー化していくしか平和は永遠に訪れない。そのためにインターネットを使いたい。昔から今でもずっと人間が獲得したくても獲得出来なかった本当のデバイスは最新のiPhoneではなくてスティーブ・ジョブズの心だし、MNPで買ったのか借りてるのかわからないちょっと古い売れ残りiPhoneで得たかったのは可視化されやせ細った繋がりではなくファクトチェックするまでもなく明らかな終戦のニュースなのだと思う。決して自民ネトサポの自演ネトウヨたちが小遣い稼ぎに吐くヘイトスピーチではなかった。決して神真都Q(何だそれは)による吐き気がするほど醜悪なノーマスクデモの告知ではなかった(命懸けで救命している医者やエッセンシャルワーカーの事を彼らが考えることができないのは文字通り致命的だ)。

ファクトチェックが難しい大手メディアの流す情報を疑う勇敢な気持ちは大事だけど、なぜ明らかに出鱈目な陰謀論なら頭から信じる人々が増えているのだろうか。目に見えない世界で選ばれている自分を救ってくれるために働いている救世主たちの存在を信じたいのだろう。自分が選ばれている気持ちになるために陰謀論を無限に作ってはそれを間に受けない人々を無知だと笑う事によって心の安寧を得る(経済的な事を考えると無料だからコスパの良い安定剤だとは思う)。それを煽って金を稼ぐ事ってそれが好きな事だとしても良く無いよ。今すぐに止めようよ。何かに目覚めていると勘違いしてる奴らはワクチンや向精神薬を疑う前にコイツらを疑えよ。

 


ごめん、声を荒げた。そういう怒りの気持ちはずっとある。でも彼らとぼくと何が違うのか、偶然触れてきた情報が違うだけなのだ。ただ彼らの気持ちになっても彼らを変えることはできない。代わりの薬を手渡す事ができるまで。それは「なるべく怖さの少ない対話への導入マニュアル」なのでは無いか?ふとそう思った。そういう内容の自己啓発本は無限にあるけれど、一人により書かれたものでは例え真剣に実践したとしてもそれは対話ではなく演技にしかならないだろう。情報ジャンキーである僕らにはコスパの良い真理ではなく、色んな人による生きたアドバイスが沢山必要なのだと思う。小遣い稼ぎに作られた稚拙なまとめサイトは必要ない。コスパ良い真理も無ければコスパ悪い真理も無い。安定した企業に就職したい気持ちはよくわかるけれど、一つの答えを追い求めてそれを安寧の地とするのは苦しいと思うけれどとりあえずやめて欲しい。一旦あなたの政治的な思想も、信仰している宗教の事も、心の片隅に片付けて、あなたと世界のすべての根幹を担っている対話について今一度興味を持ってみて欲しい。それは人を知るためのインターフェースなのだから。

 


これから対話について興味を持つための仕組みを創造してみる。手始めに「なるべく怖さの少ない対話への導入マニュアル」を作っていきたいと思う。

 


○対話がこうしてうまくいった。

○こうなったからうまくいったと思った。

○対話がこうしてうまくいかなかった。

○こうすればうまくいったのかもしれない。

○対話が好きになりたいけどなぜ苦手なの?

 


こう言ったテーマでみんなの体験談やそれに対するアドバイス、アイディアなどを出し合って、それを後から参照しやすい形にしたい。

 


以上のテキストは平和のために、差別をなくすために、音楽以外で出来ることを考えて今思いついた事です。どう思いますか?

 

 

 

 

3/7追記

 

https://discord.gg/cnjCHfwyjY

弱いzineのdiscordに「なるべく怖さの少ない対話への導入マニュアル」を作ろうのコーナーを設置してみました。
例えば

○対話がこうしてうまくいった
○対話ってなに
○こんな対話がありました
○対話ってこういう事かも

など何か思いついたら誰でも気軽に書いて欲しいです。

対話を促す仕組みを作るっていう遊びです。面白くなりますように...!